青森のゴッホ?名誉市民「棟方志功」の歴史
近所では鬼の子と?棟方志功の視力は?
棟方志功は1903年(明治36年)9月5日に、9男6女、15人兄弟の6番目、3男として青森市(善知鳥神社のすぐ近く)で生まれました。生まれた時から声が大きく、その泣き声は隣近所に響き渡り、「棟方さんの家では鬼の子が生まれたのか?」と噂になったそうです。
家は鍛冶屋で父(幸吉)は腕のいい鍛冶職人で、母(さだ)が出来たものを売り歩いていました。兄弟も多く豊かな暮らしではありませんでした。
志功の性格は明るくて誰にも優しい人でした。棟方志功は視力が小さい頃から弱く、最後には左目が見えなくなりました。医者から細かい字を読むことを禁止されていたが、それでも本を読み、勉強し続けた努力の人です。
棟方志功は視力が弱くても言い訳にせず、絵を描き続けてました。
在学していた高校の近くに記念館があったのですが、1度も行った事がありませんでした。もっと早く気づいていればと後悔です、、、
1975年(昭和50年)9月13日、東京で肝臓癌のため72歳で亡くなりました。青森市の三内霊園にゴッホの墓を模して作られた「静眠碑」と名付けられた墓があります。生涯を通して、多くの作品を作り続けた青森を代表する画家です。
三内霊園住所: 青森県青森市三内沢部353
目指したキッカケは「一輪の花」
幼かった志功少年が画家を目指すキッカケとなった有名な話があります。
小学6年生の授業中に、学校の近くの田んぼに飛行機が墜落しました。志功少年は墜落現場へ走っていく途中に、転びました。その時に目の前に、「一輪の花」が咲いていました。
この「おもだか」という花の美しさに感動して「この美しさはオレのものだ。この美しさを表現出来る人になろう」と思い画家を目指すことを決意しました。
小さい頃から絵を描くことが好きだった志功少年は、意外にも学校での図工成績は「C」でした。先生が「魚の絵を描きなさい」というと、魚の頭の部分だけを巨大に描いて叱られていました。その時から志功少年は「世界一になる」と言っていたそうです。
目の前にきれいな花が咲いていても、「ただの花」と思うか「きれいな花」と思うか、はその人の心次第です。ちなみに私は「花よりも団子」派です。
少年は云う「わだばゴッホになる」
小学校を卒業した志功少年は、裁判所の給仕係として働きながら、仕事の合間に、合浦公園へ出掛けて絵を描き続けていました。そんな時に、志功少年は1枚の絵に心を奪われました。その絵があの有名なゴッホの「ひまわり」でした。
この絵を見た衝撃をうけて「東京に出て絵の勉強をしたい」と決心し、出発する時に見送りに来た皆の前で、「帝展に入選するまで何があっても青森には帰ってきません。」と誓いました。
「わだばゴッホになる」というのは津軽弁で、標準語に言い換えると「私はゴッホになる」という意味です。当時、志功少年は「ゴッホ」を「絵描き」という意味と勘違いしていたという説もあります。
画家「棟方志功」の誕生
21歳で上京した志功青年は、納豆売りや靴修理のアルバイトをしながら絵を描き続けました。誰かに絵を習うのではなく、独学で勉強していましたが、帝展に落選すること4回。この間に祖母と父が亡くなっています。
「帝展に入選するまで青森に帰らない」という誓いを守り、志功青年は一度も家に帰りませんでした。そして、5回目の挑戦でついに入選しました。その時の作品が、青森市にある知り合いの果樹園を想像して描いた「雑園」でした。
芸術という分野は、まさに閃きがとても重要です。なぜ知り合いの果樹園を描こうと思ったのか、とても気になりますね。
版画ぢゃない「板画」と言うのだ
油絵画家を目指していた志功さんは、疑問を持ち始めました。
「油絵は西洋のモノ。頑張っても西洋人を超えられないのではないか?」
「日本人として日本の芸術「版画」を極めよう!」
と版画家になる決心をしました。
版画でなく、あえて「板画」を用いるのは、
「版画というのは板が生まれた性質を大事に扱わなければならない。木の魂を直に生み出さなければいけない。ほかの人たちの版画とは別な性質から生まれていかなければいけない」
「板の声を聞く」という事で「板画」という字を使うことにしたそうです。
職人さんがよく言う言葉で、風の音を聞くとか、雲の流れを読むとか、なんとなくその雰因気に近い感じがします。たまにお腹がすくと、これって食べられるんぢゃないか?とか雑草をみて思ったりします。これに近い感じがします。
青森から世界の「ムナカタ」へ
たくさんの人々から板画だけでなく、仏教の世界を教わり努力し続けた棟方は、1955年に(52歳)ブラジルとイタリアで行われた世界でもトップレベルの展覧会で、グランプリを2年連続で獲得しました。
正確には分かりませんが、生涯で作った作品は1万点以上と言われています。
また、板画の道を極めた棟方は彫刻刀で作る「板画」だけでなく、筆に絵具をつけて描く「倭画」や、若い頃から描き続けた「油絵」、墨で迫力ある文字を書く独自の「書」など、多種の芸術に努力したことが認められ、
1969年(66歳)青森市名誉市民第1号に選ばれました。
更に翌年1970年(67歳)には天皇陛下より「文化勲章」を受賞しました。長い歴史の中で版画家での受賞は棟方志功さんだけです。
小学生の版画の大会に、棟方志功版画コンクールというものがあるくらい、有名なんです。
国内最大級「棟方志功記念館」
1975年11月に開館した記念館には板画のみならず、倭画、油絵など幅広い作品を網羅し国内最大のコレクションとなっています。
展示室は「作品を1点ずつじっくり見てほしい」という棟方の意向により、広いスペースを取らず、年間4回の展示替えをして、これらの作品を順次公開しています。
記念館の建物は、今から1200年以上前に建てられた東大寺正倉院の校倉造をまねて作られていて、正倉院には日本の大事な宝物が保管されていて、世界的に有名な棟方志功の作品は「青森の大事な宝物」という思いを込めて作られています。
年間を通して多くの観光客が訪れ、海外からは主にアジア系の方たちが多く来館しているそうです。
◇営業時間 4月-10月 午前9時―午後5時 11月-3月 午前9時半―午後5時
◇休館日 毎週月曜日(祝日及びねぶた祭期間は開館)
◇観覧料 一般500円 大学生300円 高校生200円 小中学生は無料
◇所在地 青森市松原2-1-2
◇お問合せ先 017-777-4567
穴場グルメ 「小田丸」 100年の歴史を超えて
棟方志功記念館から、徒歩で10分程度歩くと、堤川沿いに歴史を感じるお店がありました。前々から気になっていたのですが、駐車出来る場所が近くにない為、今回やっと行くことが出来ました。
昔、この場所は軍隊に入隊する兵士達の乗り合い馬車の発着場があったそうで、待ち合わせ場所として使われていたそうです。
個人的に、蕎麦屋のカレーは美味しいという認識があるので、カレーそばを注文しました。ルーは少し固めで、麺は細めでしたが、スープはしっかり出汁が効いていた美味しかったです。この日は丁度寒い日だったので身体が温まりました。
ごちそうさまでした。
小田丸住所:青森市堤町1-11-10
雨ニモマケズ、風ニモマケズ
棟方志功は、詞をモチーフにして作品を作ったりもしていました。宮沢賢治、草野心平、小林正一などの詩や短歌をモチーフにした作品も生み出しています。
「字もやはり絵だと思っているのです」
と語る棟方にとって言葉は、身に深く染み入り想が湧き出す、表現の源でもありました。
作品を描いている時に、気分が乗ってくると、青森の民謡やベートーベンの「第九」などを口ずさみながら板画を彫っていました。
また、自らを「芸業」と呼び、作品に対する思いを表現するため、豊かな言語感覚を駆使して、あえて独創的な文字遣いや造語、ユニークな当て字などを生み出しました。
たまに私もアーティストぶって、造語作ったりしていますが、全然相手に伝わらないんですよね。そこの勘がやはり天才的です。
他には何があるの?「見どころ」3選
~出生地~
現在の青森市安方2丁目にあります。現在は別の建物に変わり、飲み屋になっています。
当時はこの場所に家があり、家族17人で住んでいたそうです。
かなりの大家族です。
住所: 青森市安方2丁目17−3
~生育の場~
小学校卒業後は、青森地方裁判所で給仕として働き、現在、裁判所近くにあるこの駐車場は「生育の場」として名所になっています。
気をつけて探して歩かないと見過ごしてしまうと思います。
住所:青森市新町2丁目8−26
~ゆかりの温泉宿「椿館」~
青森市浅虫にある椿館は、棟方志功にゆかりのある場所として有名です。建物前には、棟方志功をモデルにした大きなねぶた人形が置かれています。棟方は東京の荻窪に住んでいましたが、毎年家族で訪れていたそうです。
宿には静養の為に来ていたので、画材道具は持ってきてはいませんでしたが、制作意欲が湧いてきて、多くの作品を宿に残していってくれたそうです。
当宿にある作品は全て自筆のものです。棟方志功の他にも多くの著名人が宿泊した経歴があります。詳しくはこちらからどうぞ。椿館とは
◇営業時間 入浴時間 6:30~8:00/13:00~15:00
◇利用料金 1,000円(麻蒸湯札を使用した場合)
◇泉質 単純温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)ナトリウムイオン、カルシウムイオン、硫酸イオン
◇効能 神経痛、筋肉痛、関節痛・五十肩、運動疾患、関節のこわばり、
うちみ、くじき、傷慢性消化病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進等
また飲泉と言って、「飲める温泉」としても有名なので、健康管理の為に挑戦してみても良いかもしれません。
ご当地土産物
ゆかりの温泉宿「椿館」さんの姉妹宿「宿屋つばき」さんで、使われているお米です。
こちらは田舎文が販売している五所川原産の特別栽培つがるロマンを使用したお米です。減農薬、減化学肥料、有機循環農法により、人間と自然とのバランスを考えて作られたお米です。
品質を考えて、稲刈り後は低温庫で保管し、お米に混入する不純物を取り除くために、色彩選別機を使っています。
「冷めても美味しいお米」なので、おにぎり、お弁当におススメです。
「特別栽培米ありのまんま」とは
最後に「棟方志功の言葉」
「驚イテモ、オドロキきれない、歓ンデモ、ヨロコビきれない、悲シンデモ、カナシミきれない、ソレガ板画デス。」1974年作《不盡(ふじん)の柵》より
その時、その瞬間に、見る人によって色々な意味に受け取る事が出来る言葉だと思います。
棟方志功さんの作品は1つ、1つにとてつもなく深い「心」が込められている作品ばかりなので、お時間がある方は、作品を通してその込められた思いの念を、紐解いていくのも楽しみかも知れません。
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棟方志功記念館への交通アクセス
車の場合 新青森駅から約20分
電車、飛行機の場合でも、市営バスを乗り継いで行く事が出来ます。
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